株式会社三企 | 東京都荒川区・北区で創業50年の空調設備など総合エンジニアリング会社

SANKIの歩み

ここでは当社の沿革をご紹介します。通常であれば「社屋を移転」「◯◯事業を開始」といった華々しい成果を掲載して時間の重みをご覧いただくコンテンツですが、当社の歴史は波乱の連続、お客様のための試行錯誤を繰り返した時間の積み重ねです。

物書きとしてスタートした三企がいかにしてサービスエンジニアリングに辿り着いたのか、その社業の変遷と変わらない強みをご覧ください。

1962年 (昭和37年)

フリーライターとして丸山達雄が東京・九段で創業


三企の初代代表・丸山達雄は当時ライターとしてカタログなどの作成を手がけていました。後の主要取引先となる大手電機メーカーの総合カタログ作成などを通じて、冷暖房機器に触れる機会を持ちましたが、当初の設立は文筆業としての創業でした。

1968年 (昭和43年)

株式会社 三企を東京・神田佐久間町にて設立


大手電機メーカーとの関係を通じて冷暖房機器が普及する未来を予見した丸山達雄が、空調機の設置工事を社業とする株式会社三企を設立。

一般家庭のクーラー普及率がようやく10%に達するのが5年後の1973年で、当時はまだ珍しい業務でした。
この春に、現会長・丸山よし子が入社しています。

1971年 (昭和46年)

三企冷暖房サービス株式会社に社名変更


 

1978年 (昭和53年)

文京区本駒込〜荒川区東尾久を経て、現住所である荒川区町屋へ移転


文京区本駒込から荒川区東尾久へと8年間の仮事務所を経た後、現住所に本社を構えました。

折しもクーラーが「新・三種の神器」と呼ばれ、一般家庭での普及率が50%近くに達した時代、主要取引先であった大手電機メーカーから資本提供の誘いを受けました。これを断った事で主要取引先からの仕事が途絶えてしまい、大きな転機を迎えることになります。

東京ガスのFF暖房機(燃焼に必要な空気を屋外から取り入れ、燃焼時に発生するガスも屋外に排気する強制吸排気タイプの暖房機器)についての工事事業者向け講師を引き受けるなど、強みを活かした地道な活動を続けました。これらの活動が評価され、東京ガスが受注する役所関係の仕事を数多く手掛けるようになります。

2000年 (平成12年)

(現代表)・丸山和博が入社


前年に代表(当時)丸山達雄が病気を患い、これを契機に長男・丸山和博と次男・丸山慎二郎が入社。次男は上記の関係性を活かして、東京ガスエネルギー社に3年間出向して経験を積みました。

2004年 (平成16年)

事業の拡大


この頃より、「提案ができる職人集団」というコンセプトを強く打ち出し、少しずつ世代交代が進んでいきます。従来の冷暖房設備設計・施工以外の事業を多く手掛けるようになりました。

2008年 (平成20年)

次男が退職・独立して株式会社ROOM810を設立


かねてより内装など設備工事に留まらない事業、もっと能動的にお客様の売上に貢献できる事業への展開に興味を抱いていた次男が独立。内装デザインや企業・店舗の広告デザインなどを手掛けるデザイン会社を三企の近くで立ち上げることになりました。空調など設備とも関係の深い内装の分野などで現在も緊密に連携を取り、文字通り兄弟会社として機能しています。

2009年 (平成21年)

代表(当時)・丸山達雄が急逝、丸山よし子が事業の引き継ぎ


事業承継の準備が充分では無い中で、創業者・丸山達雄が急逝。創業当時から三企を支えてきた代表の妻でもある丸山よし子が代表に就任して、将来の長男への承継に向けて準備を始めることになりました。この間、世代交代と技術承継を進めて社員の平均年齢も35歳前後まで若返りました。

2013年 (平成25年)

作業服を一新


サービスエンジニアリング業務への変換を進める中で、改装やメンテナンスなどお客様が仕事をする中で作業を行うケースが多いことから、常に人に見られているという意識を従業員一同で高めるためにユニフォームデザインの刷新を実行。「職人は背中で語る」をキャッチフレーズに、提案力のある職人集団らしい知的で力強い作業服を採用しました。デザインは次男が経営する株式会社ROOM810による提案です。

2014年 (平成26年)

丸山和博が代表に就任


2015年 (平成27年)

社名を「株式会社三企」に変更


冷暖房・空調の枠に収まらない総合エンジニアリング業として電気・水道・内装などの工事が増えてきたことから、創業50周年を前に社名を変更。

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